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藤沢と藤堂が代わる代わる自分の教科書を覗くのを、私は両手で頬杖をつき、微笑みながら眺めている。
廃病院かと思う。あそこは私も知っているので、行って見る分には一向差し支えないが、何しろ足がない。今度の週末に久保のお父さんに頼んで見ようか知らと考えている。
不意にチョークのちいさいのが飛んで来て、額にぶつかった。
「あで」
飛んで来た方を見るとサッチンがこちらを睨んでいた。
「教科書見せてるからって自分が見なくていい理由にはならないわよ。鮎川さん」
この数学教師は自分の胸の辺りで腕を組みながら云った。
「それとも両脇のイケメンを鑑賞してたのか知ら。全くいいご身分ね。羨ましいわ。本当に羨ましい。先生と代わってよ。本当に。ほんとお願い」
「サッチンは俺が貰ってやるってー」と男子の間で声が上がった。
「五味云いやがったったな。覚えてるからな、絶対だぞテメー」
そうして授業は再開し、今度は真面目に勉学に励んでいると、
「サッチンなんで彼氏おれへんねやろなー。普通にきれいやし、乳でかいのに」
藤沢が呟いた所、
「大人になったらマジ出会いないらしいぞ。姉ちゃんが云ってた」
と藤堂が返した。
「セイジんとこ姉ちゃんいくつ?」
「二十七」
「うせやろ。めちゃ離れとるやん」
「お袋ハタチで姉ちゃん産んだからな」
藤堂に何となく色気の様なものを感じるのは、もしかするとお姉さんの影響があるのかも知れない。
お午休みになったので、久保、萬谷とお弁当を上がった。転校生の二人は既に男子とも打ち解けたらしく、各々気楽な様子で談笑しているのを見てよかったと思う。二人が平穏な学校生活を送ってくれる事を切に願う。
「ねーウミ。いつ紹介してくれんの」
口をもぐもぐさせながら久保が云った。
「藤沢君、格好いいよねー。楽しいけどなんか悪そうな感じもするし。あ、全然藤堂君でもいいよ。セクシーで超好み」
久保は幼馴染で、幼稚園から小中高といつまでも一緒にいる気がする。私とは正反対の明朗な性格で、少し明る目のショートが彼女の気質によく似合う。
「アキはどっちがいいんよ。かぶったらジャンケンね」
アキとは萬谷のあだ名で、あきらと云う名前だからアキと呼ばれている。こちらは中学からの付き合いで、私とはまた違う方面の根暗だった。きれいなストレートの重めロングで、いつも黒いナイロールのオーパル眼鏡をかけている。
「えー。わ。私は別に。……。カリンちゃんと違って清楚系だから、そう云うの人前で云わないよ」
「うわ出た出たアキのヤバイやつ」と云って、久保は膝を叩いて喜んでいる。
カリンと云ったのは久保の下の名前が花梨と云うからで、私もそのままカリンと呼んでいる。私の狭い世界には、この二人がいれば充分だった。
「ウミもさー。結構色々云われてるよ。陰口大好きジャガイモちゃん達に」
久保はにやにやしている。初日からあんな事をすればそうなるだろうと思う。
「云いたいなら云えばいいんじゃない。それでイケメン彼氏が出来る訳でもなし」
「まーあんたはアンタッチャブルだし、あたしも別に気にしてないけどさー」
「あ。カリンそうだ」
不意に思い出したので、
「今ので思い出した。今度の土日のどっちかで、カリンパパに車借りたいんだけど」
久保と萬谷は二人してこちらを見た。
「アレ?」
「アレ」
「ウミちゃん、いつか捕まっちゃうよ」
「車借りたいって、運転手うちのパパでしょ。んー、訊いて見るわー。今度誰なん?」
「三年のレイミ先輩」
「わ。超美人の人じゃない? いいなー紹介してよ」
「見境なし」
それきり取り留めのない会話を交わす内にお午休みが終わろうとしていた。私の癒しが戻って来た。久保と萬谷はそれぞれ転校生の席を使っていたので、
「ええよー。そんまま使うといて。セイジションベン行こや」
「ん」
「藤沢君。だいじょぶよー。うちらもう戻るし。あたしカリン。こっちがアキラ」
「シンちゃんでええよ。よろしくー」
恐らくこれが久保の目論見だったのだろう。抜け目のない女だと思った。先程から私に人の紹介をせびるが、久保本人としてはそもそも紹介して貰おうなどと云った気は毛頭なく、むしろ昔から人に頼ると云う事を知らない。その様な強かさが私は好きだったし、久保もその事を誇りとしている節がある。
「藤堂くん。筋肉凄いね。格好いい。……。ちょっと触って見てもいいですか?」
萬谷は明らかに肉食である。そして私共の間ではその事を一切隠さない。外の女子に対しては知らないが、萬谷は自分の印象を意図して作っていると公言していた。その潔さを私はいつも尊敬している。
午后の授業を終え、放課の段となった。藤堂はさっさと部活へ行ってしまったので、席に就いたなりで藤沢とお喋りをしている。
「成程なあ。んでカリンちゃんとこのおとんに連れてって貰う訳や」
「うん。取り敢えず現場見とかないとなーって」
「アレやったら連れてったろか。バイクあるし」
「え」
「セイジとも話してんけど。やっぱひとりはアカンわ。あいつ部活あるし、俺がついてくわ」
「順応はや」
「先輩の話がどうこうやなあて、女の子がソロで廃墟はアカンやろ。カリンちゃんのおとんがついて来てくれるん?」
「ううん。カリンパパ、ビビリだから無理」
「ほなそうしよや。ついでに飯食うとことか教えてや」
まずい事になったと思う。藤沢がどう云ったつもりでいるのかは知らないが、男性の運転するバイクの後ろに乗ると云う行為が私には俄に理解出来なかった。家族や親類を除くと最も距離の近い男性はこれまで久保の父親だったので、同年代の男性との関わりと云ったものが想像出来なかった。何しろ先日藤沢に頭を触られたのが、私が物心ついてから殆どはじめての男子との触れ合いだった。掌に汗が滲んだ。今更になって緊張している。しかし夏休み明けの抱負を思うと、これも取るに足らない事なのではないか。これしきの事をやってのけずして自分が変わる事なぞ出来やしないのではないか。
「解った。早い方がいいし、土曜にしよう」
「ういういー」
経緯を話し、父親の車が不要となった旨を久保に伝えると、「ピル飲んどけよ」と云われたので「カリンちゃんと違って清楚系だから、そう云うのよく解んない」と返した所、「黙れ呪怨系貞子」と罵られた。