はじめに

古びた彼岸より、茫漠の縁に遊ぶ人々へ

 ひとつの記憶がある。

 寒い冬の午后遅く、私は友人の二三人と連れ立って近所の古い神社へやって来た。

 前後が定かではないが、団地の隅でちいさくなっていた犬を抱きかかえようとした所、烈しい抵抗に遭って手の甲を引っかかれたような覚えがある。

 ちらちらと雪の切れ端が額や鼻先、口の中へ入って来るその冷たさを、また雪の結晶のつのつのが皮膚や舌を微かに刺すあの無垢な静けさを、今も鮮明に思い起こす事が出来る。

 いつ頃からあるのかは解らない。父が幼少の時分は辺りを竹藪が鬱蒼としていたと聞いているが、今は皆刈られて禿山になっている。灰色の鳥居を潜り、あちこちが欠けた石段を上った先にちいさい広場があり、脇に矢張りちいさいあばら家が建っている。誰も住んでいないので、いつかの台風で窓は皆割れてしまった。

 広場を抜けるとまた石段があり、そこを上ると境内に入る。重い石の蓋がされた古い井戸と、今にも千切れそうな縄で吊るされた鐘より外には何もない、森閑とした場所だった。

 私共はお堂まで行くと、そのまま賽銭箱の脇から床下へ入り込んだ。箒や梯子と云ったがらくたが仕舞ってあり、その下は直に土になっている。蟻地獄が点々と穴を開けていて、ほじくって見ると時折ちいさい蟻地獄が出て来た。

 そうして床下の奥へ進むと、床下だと云うのに階段がある。薄暗いのでよく見えないが、今から思うとあれは階段ではなく、単に盛土や基礎の段差と云ったものだったのだろう。

 這いつくばったなりで階段を上った先は行き止まりで、子供が坐れる程度の高さの狭い空間となる。私共は土の上に坐り、じっとしていた。冬なので、外で木枯らしの吹く音がひゅうひゅうと聞こえた。床下は外よりも随分暖かく、底冷えはするけれどもじっとしていられないと云う程ではなかった。

 私を含め三四人の子供が、神社の薄暗い床下で土の上に直に坐り、日が落ちるまでそこでぼんやりとしていた。

 身寄りのない孤児であった訳ではない。

 おぼろげな光景だけが記憶の隅でいつまでも呟いている。しかしその言葉が私には解らないから、子供の自分と今の自分とを結びつけるために文章にしようと思った。書いている内に少しずつでも近づく事が出来ればいいと思った。

 あれは気紛れか、遊びか、白昼夢の類か、祈りか、儀式か、それ以外の何かだと云うのか。書いている間は何となく解りかける気がするが、恐らく解らないままなのだろうと云う予感もある。

 徒労に終わるかも知れないし、いずれ何かを見出だせる時が来るかも知れない。

 その様な、ひとりの夢遊病者の不用意な文章に、もしもお付き合いをいただけると云うのであれば、これに勝る喜びはない。

椹野 一