拍子木

拍子木

 幼き時分には身の回りの何もかもが閃いて見えたものだ。年々歳々、日を追う毎にその様な閃きは少しずつ色あせて行く。それは自分がものを知ったからで、そうした明け暮れを繰り返す内にやがて森羅万象に通じてしまう時が来るのだろうか。

 女房に死なれて随分経つが、この頃おかしな事が起こる。おかしな事とは云ったが、そう大それた事ではない。

 日に一度、夜の更け掛ける頃合いに、女房の化粧机の抽斗から形見の櫛の鳴る音が一度だけする。指先で櫛のぎざぎざをなぞった折に出る音がする。

 はじめから不思議に思う事はなかった。鳴る時刻はいつも決まっており、女房の息を引取った時間だった。森閑とした時刻であるから、家にいればよく聞こえる。これはいい。大方私の何やらを気に掛けてくれているのであろう。有難い事であるから、これはいい。

 私がおかしな事だと感じるのはこの事ではない。この事である事に違いはないが、違うまた別の事である。

 女房の形見の櫛がじゃらじゃらと鳴る時、他所でその音に合わせて拍子木を鳴らす者がいる。拍子木の音は床下から聞こえる事もあれば、梁の上から聞こえる事もある。家には私が一人でいるだけである。音の主を確かめるつもりにもならないままに、その音がしたら寝るようにしていた。

 そうして今、丁度音のする頃に小用に立ったのであるが、風呂場の前を通った際に、開けっ放しになった洗い場を何の気なしに覗くと、風呂蓋の上にちいさい女房が坐っており、その手に持った拍子木を鳴らした。

 ならば櫛を鳴らすのは誰であろうかと考えもするが、私を見て照れくさそうにする女房が鮮やかに閃いて、可愛く見えたから、今日はそれで良い。(了)