泉下の菊

泉下の菊

 どこから話して見ようか。そうだね、僕はその晩もやっぱりひとりで起きてゲームをやっていた。あの頃は毎日があんな風な塩梅だった。外にする事もないんだが、寝るのも何だか勿体ない気がしてね。親に感付かれると後々厄介だから、部屋の電気は消している。真暗な中でテレビの画面だけがぼんやりと光って、その明かりが僕の顔にへばり付いているのが解る。

 一階の角部屋だったからね、窓を開けるともう表の往来が直に通っている。昔の友人はいつも僕の部屋へ窓から入って来たものだった。こちらも鍵なぞ掛けやしないからね。朝起きたら向こうで勝手に始めている、なんて事はしょっちゅうだった。

 そうそう。ゲームをやっていたんだ。昔のゲームさ。ほら、敵から魔法を盗む様な仕組みがあったろう。世間様の評判は芳しくなかった様だが、僕は嫌いじゃなかったよ。そうしたなりですっかり夢中になっている時に限って、窓の外で何やら騒ぎ出すものだった。君は実際に聞いた事はないかも知れないが、猫と云う動物は夜になると喧嘩をするんだ。お互いに壊れた拡声器が滅茶苦茶に鳴る様な声を出して、あれは威嚇しているんだろうね。自分が二階にいれば、文字の通りに高みの見物と行くのも風情があっていいだろう。しかし同じ地べたの続きの話となると、これは迷惑極まりない事だから僕はいつも難儀していた。

 家の周りは山だからね、色々の動物が住んでいるんだろうと思う。お午間に本を読んでいると鶯がうるさいし、雨の日には玄関先に亀が転がっていたりする。こないだなんかは、夜になって自販機まで珈琲を買いに行った所、帰りがけに猿に出会ってね。いきなりの事だったから、暫くの間僕と猿とで見詰め合う格好になった。ああ云った猿の様な生きものは危ない。目を離すと何をされるか解ったものじゃないだろう。だから見詰め合っていたのだけれど、いつまでもそうしている訳にも行かない。僕には帰る家があるからね。どうしたものかと考えた挙句、持っていた煙草を猿に投げ付けてそのまま走って帰ったよ。幸い、追っては来なかった。

 何が云いたいかと云うとだね、猫がうるさいんだ。僕はこう見えて我慢強い方だが、それでもやっぱり限度と云うものがある。ゲームが行き詰まっていた事もあってね、遣り場のない苛立ちをそろそろどこかへ向けなければいけなかった。猫の声は窓の外を行ったり来たりしている。もう少しばかりすると悲鳴の様な音の折り重なりになって、もう何が何やら解らなくなるだろう。猫の気はそれで済むだろうが、僕の気は済まない。

 僕は窓に手を掛けて勢いよく開いた。菊の花束を抱えた女が立っていた。血管が膨れて真赤になった目をこちらへ向けて、

「子供が泣き止まないんです」と云ったきり、暗い夜道を歩いてどこかへ去って行った。

 勿論何も云えなかったよ。怖かったからね。(了)