いたづら

　死んだ女が夕暮れに訪ねて来た。何事か交わした様な覚えはあるが、よく解らなくなった。西日に射されて真赤になった表の通りばかりが印象に残った。

　女は私の旧い知り合いだった。稼ぎのいい男と一緒になったと聞いていたが、金に纏わる問題で一家心中をした。子供が二人いたらしいが、女だけが死に、外の者は皆生き残った。恨んで出て来るのであれば筋違いだろう。

　夜になり、ベランダへ出て煙草を吸っていると隅に女が起っていた。脚はついているが、汚れた素足だから無い方がよかった。地味な色の洋服を着ており、濡れて更に暗い色になっている。水で死んだのか知らと思う。手提げを持ち、矢張り水に濡れた癖毛が顔にかぶさっている。

「どうした。何か用か」

　女はそこへ突っ起っている。

「家族に言伝でもあるか。直接、云い難いだろうけど。恨みの言葉だったら知らんぞ。そう云うのはきちんと自分で伝えな。人伝だと、きっと蟠りが残る」

　女は暫く黙っていたが、やがて身じろぎひとつせずに「ふふふ」と笑った。

　一歩こちらへ近づくと、持っていた手提げを私に向かって差し出した。

「なんだこれ」

　女は喋らない。

「預かれって話か」

　手提げを受け取ると、女は後ろへそろそろと下がって行き、暗がりの中へ入って消えた。

　部屋に戻ると、妻が「なにそれ」と云うから、

「ベランダに落ちてた」

「お隣さんか知ら」

「どうだろ」

　テーブルの上に置かれた手提げは合皮で出来ており、口はファスナーで閉じられていた。

「財布とか入ってたら、交番じゃない？」

「持った感じ結構軽かったけど。中身だけ確認して見るか」

　ファスナーを引き口を開いて見たが、中は真暗で何も見えない。真上から照明の明かりが直に射すけれど、光の筋を吸い込みどこか深い所へ続いている様に思われた。

　不意に手提げの中から何かが浮かんで来た。まん丸のシャボン玉だった。吃驚して見合わせた私と妻の顔の間を、後から後からシャボン玉が通り過ぎて行く。

　天井まで達するなり割れてなくなるが、あんまり数が多いから部屋中がシャボン玉だらけになった。

　そうして最後のひと泡が何でもない所で割れるのを見届け、私は再び手提げを覗いたが、中には裏地に当ててある布が見えるばかりで、何も入っていなかった。（了）