睡蓮鉢

睡蓮鉢

 西崎のおばさんの家の通りに面した軒下に、永い事大きな睡蓮鉢が出してあった。幼い私は学校へ行く途すがら、また遊びに出た折に度々その鉢を覗いて見たものだった。中には石ころの大きいものやちいさい木片が入っており、雨水が溜まって磯の様になっている事もあれば、乾き切って干からびた苔が硬く縮んでいる事もあった。

 春を少し過ぎた頃、よく晴れた午下がりに通りかかったので覗いて見ると、縁までいっぱいに溜まった水の表面が風に吹かれて揺れていた。波のささくれに光が映り、底の方を暗くしてよく見る事が出来なかった。早く波が収まってくれればいいのにと思いながらじっと覗いていると、ゆるゆると広がる波紋の陰に何か見え隠れするものがあった。底に転がった石の上に、小さい鳥居が立っているらしかった。

 何してんのと云ったので顔を上げると、級友の戸村がいた。

「トム。見てこれ、なんかある。これ。こんなか」

「どれどれ」と云って戸村は鉢を覗くと、マジだと云って手を突っ込んだ。しかし思いの外深いらしく、

「ちょい俺の手、片方持っといて。すげえ遠い」

 戸村が鉢に落っこちてしまうと、自分ではどうする事も出来ないだろう。そう考えると非常に不安な気持ちになって来たので、水に突っ込んでいない方の彼の片腕を抱えて踏ん張っていた。戸村を見ると、伸ばされた腕は肩まですっぽりと水に浸かっている。

 そうして暫く鉢の中を掻き混ぜる様に腕を動かしていたが、やがて何か得るものがあったと見えて、一息に水に浸かった腕を引き抜いた。見ると戸村は柳の葉の束になった様なものを掴んでいる。

「なんこれ」と訊くと、

「わからん」

「なんか赤いのは? 鳥居みたいなん、俺見たよ」

「わからん」と云って、自分の掴んだものを眺めながら合点の行かない風な顔をしている。(了)