口裂け女
知り合いの女が口裂け女になったと云うので見に行った。
女の家の前まで来ると、表に立って私を待っていたらしかった。赤い外套を羽織り大きなマスクをしているので、今の所はひとかどの立派な口裂け女に見える。
「久し振りー」
「わたし、きれい?」
「化粧してマスクしてりゃ人間イケてる様に見える」
「このコート、お母さんから貰ったのよ」と云って、女は外套の裾を持ってひらひらさせた。
「折角だから、身なりもきちんとしようと思って」
目許や鼻筋が、私の記憶にある女のものよりも随分美しく見えた。
「とりあえず入って。流石に外じゃ見せらんないわ」
女の家へ上がり、さっぱりと片づいた茶の間へ通された。女は台所でごそごそやっていたが、やがて珈琲を盆に乗せて出て来た。
「お砂糖とミルクは?」
「お構いなく」
ちゃぶ台を挟んだ向かい側に女はすとんと座った。
「わたし、きれい?」
「仕切り直しね」
「ちゃんとした段取りを踏まなきゃ、雰囲気が出ないでしょ」
「段取り踏んだら、最後は俺の死で幕を閉じるんじゃない」
「なら見せないわ。それ飲んだら帰って頂戴」
「そんなに俺殺したいの?」
「わたし、きれい?」
こちらを見詰める黒目が、雨に降られた硝子の様に潤んで見えた。
「大層お綺麗で」
「これでも?」と云って女はマスクを外した。結んだ唇の端から耳にかけて、薄っすらと頬に線が走っている。
「おー。もっとグロいかと思ってた」
女は何も云わずに唇を尖らせた。
仕様がないので「お綺麗でいらっしゃいます」と云ってやると、女は笑みを浮かべ、「ふふん」と鼻を鳴らした。
「喋んなくなったのは何で?」
女は再びマスクをつけると、
「そんな恥ずかしい事出来やしないわ」
「えー。見してよ」
「駄目よ」
私はポケットから鼈甲飴を取り出し、
「じゃあこれとマスク交換で」
女は真剣な眼差しで鼈甲飴を見詰めながら、口許に手を当てて考え込んでいる。(了)