近くの他人

近くの他人

 この頃青柳から頻繁に連絡がある。詐欺師の様な事をして糊口を凌いでいるとの事であったが、この春に結婚をして漸く落ち着いたと云う。細君とはインターネットの何かで知り合ったらしいけれど、私にはよく解らない。今度家内を連れてへ顔を出すよと云った風な連絡ばかりを、もう半年も前から寄越して来る。私は独り身なので一向構わないが、青柳は昔から自分の云った事をそう云ったきり放って置く男だから、こちらも心得て半分に聞いている。

 風のうるさい晩に部屋でじっとしていると、窓から変な音がする。カーテンを開けて見た所、外の木立が風に煽られ、枝葉が窓を撫でているらしかった。真黒な外の色を透かした磨り硝子に、時折大きな葉っぱが押しつけられるのが見えた。硝子越しだから輪郭がぼやけているが、ぼやけているなりに枝との繋ぎ目や葉脈が見て取れた。

 戸口の方からがたがたと云った音がした。風に揺すられる音とは少し違う様なので見に行くと、表に誰かいるらしかった。

「誰かおられるのですか」と声を掛けると、

「やあ。開けてくれないか」と返事があった。青柳の声だったから開けてやると、真黒の帽子をかぶり、真黒の長い外套を着た青柳が突っ起っている。

「こんな遅くにどうした」

「いずれ顔を見せに参上すると云っといただろう」

「まあお入んなさい」

「失礼するよ」

 外の風に紛れて青柳が入って来ると、灯していた照明が薄っすらと暗んだ様に思われた。

 居間へ通し、灰皿と茶を出し私たちは向い合って坐った。

「本当は家内も連れて来たかったんだが」

 青柳は煙草を指に挟んだまま火を灯さず、吸い口でテーブルを叩いている。

「具合でも悪いのか」

「うむ。ここへ向かう途中で産気づいたからね、寺へ預けて来た」

 私は吃驚して、

「のんびりしている場合じゃないだろう」

「なに、心配するには当たらないよ。この近くなんだ。和尚は君の事を知っているらしいし」

「どこの寺だい」

「楊亦寺と云う所だ。この茶はうまいね、どこで手に入れたんだい」

「お隣の婆さまから貰った。本当に大丈夫なんだろうな。何なら病院へ連絡した方が良いんじゃないか」

「構わんで良いさ。あんな女」と云って、青柳は向こうにある神棚の方を睨んだ。

「今頃何を産んでいるんだか、まるで解かりやしない」

 外の風が強まった様で、地面の何かが浮かされつつある気配がした。トタンの鳴る音がひどく耳についた。

「結局、奥さんはどこの人なんだい」

「月が変な所から出て来る様な土地さ。どうもああ云う所は、やっぱり良くないらしいね。最初は珍しくてこっちも面白かったんだが、段々とそれが疎ましく思われて来る」

「仕様のない事だろう。何だってそうだ、贅沢を云うもんじゃない」

 青柳は少し笑って、

「飯食わぬ女房って知ってるかい」

「馬鹿な事を。お化けや何かだって云うのか」

「君も気をつけた方が良い」

 電話が鳴り出したので、出ると寺の和尚からだった。直ぐ来なさいと云うから、青柳の方へ振り返ると居間には誰もいなかった。吸いさしの煙草が灰皿の縁で細い煙を立てていた。

 一人で寺へ向かっていると、外燈の明かりの下に葉っぱが浮かび、いつまでも同じ所をくるくると回っている。大方風に巻き上げられたのだろうけれど、外へ出るなり風の音がしなくなったのを不思議に思う。

 暗い寺の門を潜り、開け放された本堂の方を見ると、真白の襦袢を着た和尚がこちらへ背を向けて坐っている。急に嫌な気持ちがし出したので、私は立ち止まってその背中を眺めた。

 本堂の奥から和尚の躰よりも大きな頭をした女が出て来て、和尚へ向かって何事か呟いている。口を開ける度にぎざぎざの歯の隙間から黒い舌がこぼれそうだった。和尚はそれを聴きながら何度も頷いていたが、やがて起ち上がるとこちらへ振り返った。

 遠目に見えた顔は私の知っている和尚の顔ではなく、どちらかと云うと青柳に似ていたが、彼ともやっぱりどこか違う様だった。(了)