朔日(第二版)

第四夜

 いつ頃からだったか定かではないが、酒に酔うと暗い方へ行く癖がついてしまった。自販機の裏であったり、路地、橋の下、倉庫、墓地と云った具合に、暗い所ならどこでも良かった。そうやって暗い所へ入ると、その中の更に暗い所へ入って行く。入れなければその方へ腕だけでも突込む。突込んだ先にあるものに触れると漸くちぐはぐになった気持ちが落ち着くらしかった。その為素面に戻ると見知らぬものを握っている事が頻繁にあった。最後に手に触れたものを持って帰ってしまう様で、工具や空き缶、蝉の抜け殻のと云ったがらくたばかりだったが、そうしたものは木箱の中へ大事に仕舞ってある。
 上司から大目玉を食らった晩に大酒を飲んだ。目を覚ますと家の玄関に居り、掌にもこもことした温かいものを感じたので見ると狐の子供を握っていた。
 大変な事をしてしまったと思い、急いで母親を捜しに出かけたが、一体こんな町のどこに狐が住んでいるのかまるで見当がつかない。思いつくままにそれらしい店や役所へ行ったり、金持ちの家を訪ねたりして見たが、何の手がかりも見つからなかった。どうしたものかと考えながら、手許の狐におまえはどこからやって来たんだいと話しかけると、ちいさい鼻を私の鼻に擦りつけてすんすんとちいさく鳴いた。一番暗い所に居たばっかりに私に捕まってしまったのだろうから、真白いその狐をくろと名づけて身許が解るまで世話をする事にした。

 会う人会う人に恋人が出来たんだろうと云われ出した。居ないよと応えてもそんな筈はないと相手も聞かない。婚活でもする時間があれば良いんだけどと曖昧に躱して終わるのが毎度の事だった。
 くろもひとかどの立派な狐となったが、その姿が非常に美しい。家に居ると私の傍を離れず、よく懐いてくれている様だった。近頃はくろが居るから外で飲む事はなくなり、変なものを拾って来る癖もなくなった。その代わり晩酌が増えたがどうした訳かこれが楽しくて仕様がない。自分は黙って酒を飲み、それをくろが見ているだけだが、何だかお膳が明るくなる気持ちがする。彼女は人の食べる様なものを好んだ。以前酒を椀に注いで出して見た所、二三遍ちいさい舌で舐めただけでもう回ったらしく、直ぐに寝入ってしまった。
 くろの身許は相変わらず解らない。そこいらを連れて歩いても彼女の興味を引く場所は未だ見つからない。仲間や家族が居たら会いたいだろうと話しかけて見ると、切れ長の目を細めて尻尾を優雅に揺らした。

 物音がしたので目を覚ますと、私の寝ている横に包丁を持った男が起っている。賊だと思ったので、何でもお渡ししますので命だけは勘弁して下さいと言いかけた所で、男の様子がおかしな事に気がついた。変な方を向いたまま震えているらしかった。おやと思ったが、こちらも身じろぎが出来ないから黙って見ていたけれど、やがて男は何やら喘ぎながらゆっくりと後退りをして、いきなり外へ逃げ出して行った。
 落ち着いたので気を取り直して男の見ていた方へ顔を向けると、寝床から首をもたげたくろの姿が、窓から差し込む外燈の明かりに薄っすらと浮かされている。尻尾をゆらゆらさせ、その目は明かりを照り返して仄かに煌いていた。
「くろ。くろ、大丈夫か」と声をかけながら近づいて見ると、くろは私の頬をぺろりと舐めて、「ふふ」と云って笑った様な声を出した。聞き間違いか何かだったとしても、馥郁とした非常に美しい声だった。(了)