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 山で死んだのでそこいらをうろうろしていると、同じ様な人が居たから声を掛けた。眼鏡を掛けた猫背の男だった。
「もしもし」
「やあ、これはこれは」
 二人で少し笑った後、並んで歩き出した。
「あなたはどうして死んだんです」
 男は自分の首を擦りながら、
「これですよ。借金で首が回らなくなったもんですから。まあ、よくある話なんでしょうが、私が首を括ると喜ぶ人が沢山居るんですな」
 真昼の明るい日差しが、高い木に囲まれた山の中を瑞々しく照らしている。
「しかし、あれですな。死んで見ると随分さっぱりした気持ちになった。人間、何でも経験して見るもんだ。死んだ事のない人が可哀想に思えて来るぐらいですよ」
「意外に何ともないものですしね。僕も何だか体が軽いですよ」
「そらあなた、体なんぞないですからな」と言って、男は大袈裟に笑った。
「して、あなたはどうして。まだお若いのに」
「僕は事故みたいな、いや、事故なんですけど」
「遭難ですかな。それとも、あすこの峠で」
「そうそう。峠を車で走ってて、そのまま」
 広い湖に出たので、畔にあった大きな岩に二人で腰掛けた。新芽の吹き掛けた木々が被さり、隙間から射し込む陽が水面を明るくしている。低い所を丸く小さな鳥があっちこっちに飛んでいる。
「あの峠には幽霊が出るんでしょう」
「ご存知でしたか」
「おや、おや。とするとあなた、幽霊に取り殺されたんですな」
「そうなるんですかね。夜中に走ってたんですけど、道の先に白い服を着た女が居ましてね。轢いてもし人間だったらあれですし、停まって声を掛けたんですよ。そしたら攫われて山に棄てられたって言うもんですから、不憫になって。よく見たら泥だらけで、服もあちこち破けてるんで。それで、隣に乗せてまた走り出したんですけど」
 男は私の話を聞きながら、時折ふんふんと相槌を打っている。
「ずっと走ってると、隣に居る女が自分の顔を掻き始めたんです。ほっぺたをぽりぽり、て感じじゃなくって、こう、両手の爪を立てて顔中をごりごりやってるんですよ。最初は僕も、ひどい目に遭ったんだから、そりゃあ取り乱しても仕方ないだろうな、て思ってたんですけど、あんまり長い事そうやってるもんですから、心配になって。どうしたの、て訊いたんです。そしたら」
「そしたら?」
「女はいきなりこっちに抱きついて来たんです。運転してるのに危ないなと思って、女を見たら、女の顔にはなんにも付いてないんです。茹で卵みたいにぺろんとしてて、多分、顔を掻いてた時に全部削ぎ落としたんだと思うんです。それで僕も動転して、ハンドルを滅茶苦茶に切っちゃって、気が付いたらこうなってました」
「そらあなた、のっぺらぼうと言うやつですな」
「やっぱりそうなんですかね。何だかむかつくんで、見付けたらぶん殴ってやろうと思うんですけど」
「そうですか。そうですか」
 男は自分の顔を両手で覆うと、
「その女の顔と言うのは」
 こちらを向き、手を開いて顔を見せた。
「こんな顔ですかな」
 そこにあったのは、出会った時と変わりのない、眼鏡を掛け頬の痩けた、ねずみの様な男の顔だった。
「いえ、違います」
「あれ」
「あなたものっぺらぼうなんですか」
「いやあ、死んでるんだから、真似したら出来るだろうと思ったんですが。駄目でしたか」
「結構お茶目なんですね」
 そうして二人で笑った。どこかで風が吹いたらしく、湖にゆるゆると波が立った。
「しかしね、あなた。私に言わせるとね、人間ののっぺらぼうなんてまだまだですよ」
「どう言う事です」
「のっぺらぼう、と言っても色々あるもんでしてな。私が知ってる内で一番怖いのは、座頭鯨ののっぺらぼうですよ」
 暗い海の中を漂う座頭鯨ののっぺらぼうを想像して、確かにそれは怖ろしいだろうと思った。
 湖の波が段々大きくなり出して、打ち寄せる波頭の飛沫が顔まで飛んで来た。私ははっとして水の中を覗くと、
「あんな事言うから、ほら」
 湖の真ん中を指さすと、その辺りの水が一緒になって大きく盛り上がり、地鳴りの様な音を立てて底から黒い影が浮かんで来た。(了)