追憶

 峠へ向かって伸びる谷底の細い道を挟む様にして、私の生まれた集落はあった。
 人の居る建物は五六軒の家と、小さな神社と、鯉の養殖場のみで、外には道に沿って流れる沢と、椎茸の栽培地と、集落の周りに立ち並ぶ杉の木があるばかりだった。
 植林されてからどれだけ経つのか分からないけれど、苔生した太く高い杉の木が山のずっと奥まで続き、昼間でも陽の光はここまで届いて来なかった。僅かに道の上だけが開けており、時折高い所から来る木漏れ日を地面に映した。山の色に染まった薄暗い景色の中に射す細い明かりの筋を、家の前に座りぼんやりと眺めるのが幼い私は好きだった。
 向こう隣の家にふゆと言う一つ歳上の少女が居たから、いつも一緒になって遊んでいた。柔らかな顔立ちで、丸いおかっぱ頭をしており、動く度に横髪が跳ねる様に揺れていた。彼女は山の奥へ私を連れて入っては、野苺や木の実の味や、虫や小さな動物の名前、沼に居る大きな獣や古木のうろに棲む黒い人との話し方を教えてくれた。
 ふゆは大きくなったら街へ出て見たいと言った。私は街がどの様なものか知らなかった。一緒に行こうと言われたが、漠然と、私はこの先もこの山に埋もれて暮らして行くのだろうと考えていた。
 学校へ上がる歳になり、私は初めて里に出た。規則に囚われるのは窮屈だったが、学校は楽しかった。帰りの道をふゆと連れ立って歩いていると、自分の住む山へ夕陽が沈むのが見えた。大きく、黒々と静まる山の影がこちらの方へ深く被さった。
 中学の冬に、ふゆと雪の中を歩いていた。彼女は街の高校へ進学するらしかったが、私は卒業すると父親に就いて木を伐るつもりだった。
「ずっとここに居るの」とふゆは言った。雪を踏む感触が体の芯にいつまでも残った。
「多分」
「わたしはもう出るよ」
「うん」
「たまには戻るからさ、あんたも遊びにおいでよ」
「うん」
「ねえ。それなら」
 ふゆが立ち止まったので見ると、私をじっと見詰めている。
「この山のどこかにね、隠しとくから」
「何を」
「見付けてね」と言って、辺りの雪に紛れる様に美しく笑った。
 それきりふゆは戻って来なかった。父親と共に山の深くへ入る明け暮れを繰り返している内に訃報が届いた。彼女が大学へ上がり、暫く経った頃だった。
 私は家業の合間を縫ってふゆの隠したものを探し続けたが、一向に見付ける事は出来なかった。ふゆの家族に訊いても知らないと言う。沼や古木のうろを訪ねたが、もう誰も居なかった。
 或いは嘘だったのかも知れないけれど、それを確かめる術は私にはない。集落はダムの底に沈み、今は静かな水面が陽の光を映しながら揺れている。
 随分様変わりしてしまったから、もし彼女が戻って来た時に迷わない様に、加えて隠したものの在り処を良い加減に教えて貰える様に、成る可くここに居る様にしている。(了)