蹄鉄

 海苔屋の娘がせがむので、嫌だったがこの間拾った蹄鉄を見せてやった。星が普段の倍もある様な晩に、煙草草を摘みに森へ入った時に見付けた。小さいみずちが齧っているのを取り上げて見ると、星の明かりがちらちらと照り返して冷たかった。
「これはどうやって使うの」
 娘が力任せに蹄鉄の両端を引っ張るので、
「こら、こら。これはね、脚の底に貼るんだよ」
「貼ったらどうなるの」
「脚が速くなるんだよ」
 馬を見た事はないが、何かの本の挿絵にあった姿から、頭の良さそうな生き物だと感じていた。
「お海苔と替えっこしようよ」
「駄目だよ」
「けちんぼ」と言って、娘は頬を膨らした。

 明くる日の朝、家に警官がやって来た。若いのと年寄りが一人ずつで、二人共物腰は柔らかいが、猛禽の様な眼差しをしている。
「近頃何か、変わった事はございませんかな」
 年寄りが言うので、
「いや。特にありませんですが」
「こないだね、あすこの森で殺しがあったんです」
「はあ」
「犯人は未だ見付かっていない。面目ない事ですが」
「はあ」
 若いのが口を挟もうとしたらしいが、年寄りは手を振ってそれを制すと、
「そう言う事で、物騒だから」と言って立ち去った。

 晩になり、例の蹄鉄におかしな因縁がありやしないかと不安な気持ちになって来た。変な言い掛かりを付けられるのも困るので、私は元あった場所に戻して置く事に決めた。
 蹄鉄を懐に忍ばせ、静かに家を出た。星が普段の倍もある、拾った時とそっくりな夜空だった。あんまり眩しいので、建物の陰に隠れる様にして歩いた。
 自分の足音の後ろに、そわそわする様な気配がある。辻を曲がる際に横目で見ると、誰かが後を付いているらしく、大方海苔屋の娘だろうと思うけれど、はっきりとしない。
 森へ入ると、後ろの気配が増えた様に思われた。木立の裏からこちらを伺う様子なので、私は何でもない所を行ったり来たりしている。早く諦めてくれれば良いのにと考えながら、懐にある蹄鉄の冷たさを感じた。
 そうする内にとうとう蹄鉄を拾った辺りまでやって来た。あそこの一本杉の根本で、小さいみずちが齧っていた。こんなものを食って何になるのか分からないが、小さい口をいっぱいに広げ、一生懸命になって齧っていた。取り上げた際に片っぽの牙が折れて、私の指に刺さった。きっとあれで人の味を覚えたのだろう。
 木の下に蹲り、蹄鉄を草に沈めると、頭の上からしゅう、しゅう、と言う音が聞こえ出した。ゴム鞠の空気の抜ける様な音だった。
 上を見上げると、杉の葉っぱが折り重なって星を隠し、真暗になっている。その中の一番暗い所で、二つの大きなまん丸がぴかぴかと光った。みずちの眼だと思った途端に、私は振り返ってその場から飛び退いた。
 逃げはするが、恐らく助からないだろうと考えている。散り散りになって走り去る海苔屋の娘や警官の背中を眺めながら、しゅう、しゅう、しゅう、と言う音ばかりを聞いている。(了)