夜になったので、山裾の小さい川へ行って蛍を見ていた。近頃では滅多に無かった沢山の数の蛍が、あちこちを飛んだり葉っぱにくっついたりしている。月も出ていない真っ黒な夜で、却ってその方が良いと思った。
 地べたに座り川の流れる音を聞いていると、肩に蛍が留まって光り出した。明かりは風船を膨らます様な息遣いをして、私の顔の周りをぼんやりと照らした。
 電灯の様に眩しくなったり、燃えさしの様に静まったりする蛍の尻を見ていると、向こうから草履の足音が近づいて来る。蛍の明かりに遮られて姿形は見えないが、私の隣に座った様だった。
「窒息しそうだわ」
 真っ暗な向こう側から声がした。
「そんなとこ居るからだろ」と応えると、
「好きで居るんじゃないわよ」
 それきり暫く声は無かった。明かりに照らし出された私の顔が、相手にはよく見えるだろうと思った。
「あんた、未だあんな事してんの」
「俺の勝手だろうが」
「詰まんない意地ばっかり、昔っから。良い加減、子どもみたいな事止めなさいよ」
 川の水面を二匹の蛍が漂っていた。つくとも離れるともなく、淵なのか瀬なのか分からない所の水を照らしている。黄緑の発光に緩やかな波の起伏が映され、蛇の背中の様に見えた。
「周りの人の事も考えなくちゃ」
「やだね」
「またそんな事ばっかり。あたしだって、あんたの為に言ってんのよ。分かんないの。いつまでもそんなとこに居ちゃだめよ」
「俺だって考えてる。考えた挙句にこうしてるんだよ。大体、俺の事だろうが。俺が俺の事を決めて何が悪いんだよ。餓鬼じゃねえんだから」
「ばか」と大きな声があって、辺りの蛍が一斉に瞬いた。隣で立ち上がる気配がした。黙って私を見下ろしているらしかった。
「泣く事ないだろ」
「泣いてない」
 そうして再び草履の足音がし出して、気配は向こうへ去って行こうとする。
「行くのか。行くなよ」
「また来る」
 足音は段々遠ざかって行き、やがて聞こえなくなった。私は待っているのだから、何遍でも来るが良いと思う。
 棄てられた酒瓶の中に入り込んだ蛍が、内側から瓶を光らせた。他の蛍と違って、切れかけの蛍光灯の様なせっかちな光り方だった。(了)