花火

 真白な日差しに晒された風物が夏の色を浮かしている。同じ様に真白になった道を一人で歩いている。両脇には伸び伸びになった草が、むせ返る様ないきれを吐き出し私の汗に触る。あちこちから聞こえて来る蝉の声は、お日様が私共を灼く折に鳴る音の現身ではないかと思うと、何だか気が滅入って来る。
 そうして校門の前まで来た。屋上で花火を観ようと云った藤堂の申し出に何ら不服はないが、早くとも日の暮れてから集まれば良い話であって、なぜこの様な暑さの盛りに取り決めがあったのかは解らない。
「みっちー」
 消え入りそうな声の先を見ると、木立の影に蹲る小山の姿があった。ひょっとこの様にタオルを頭に巻いて、ハンカチで顔を扇いでいる。
「ちょーあつい。しぬ」
「コンビニでも行くか」
「コンビニまであるきたくないー」
「何か要るもんあるか」
「おいてかないでー」
 外の者は未だ見えないので、来るまで待つのが筋だろうけれども、放って置けば小山が本当に死にかねないから、一先ず校舎へ逃れる事にした。
「これ。飲みかけで良いならやるよ」
「ありがとー」
 ペットボトルのお茶を差し出すと、すべて飲み干してしまった。
「これも食っとけ」
「ありがとー」
 塩飴を差し出すと、直ぐ様口に含んだ。
「ミルクティーが良かったな」
「贅沢云うな」
 校舎の中へ入って見るとその涼しさは思いの外で、それまで総身に纏わりつくのが鬱陶しかった汗が、微かなそよ風も絡め取る着心地の良い肌着の様に思われ出した。
「しゃーねえから、皆来るまでその辺ぶらぶらしとくか」
「うん」
 薄っすらと流れて来るラッパの音や運動部のかけ声が、私共の所まで届く前に立ち消えになる。そうして校舎を行ったり来たりするけれども、擦れ違う者もない。
「ねえねえ。ウチらの教室行って見ようよ」
「おう」
 やっぱり誰も居ない教室へ入って、各々自分の席に就いた。小山は真ん中辺りの席だが、私の席は窓際なので、そこからの展望を眺めた。野球部や陸上部が練習に励んでおり、この糞暑いのにお気の毒様と思う。
「なんか良いね、こう云うの」
 小山の声を振り返らずに聞いた。
「そだな」
「みっちー、なんか面白い話してよ」
「えらいハードル上げて来たな、いきなり」
 顔は見えないが、恐らく小山はこちらを向いて微笑んでいるのだろうと思う。私に無茶振りをする折にはいつもそうする。
「こわい話とかでも良いよ。ウチがして上げよっか」
「そんな引出しがあるんか」
「あるある。あるあるよ。えっとねー、……」
 小山の語るには、以前この学校の生徒に口の利けない者があったと云う。その為酷いいじめに遭い、やがて自殺してしまった。焼身自殺だったと云う。それから校内で怪異が起こり出した。初めは些細な事で、稀に焦げた様なにおいがしたり、窓の隅に煤がついていたりと云ったものだったが、段々とその頻度が甚だしいものとなり、仕舞いには廊下の天井に“あつい”と赤い字で書かれているのが見つかったのを皮切りに、夜な夜な校舎のどこかで焔が燃え立つだの、黒焦げの生徒が外壁を這い廻るのを見ただの、至る所に赤い字で“くるしい”やら“たすけて”と云った文言が記されているだの、続け様に起こる自殺した生徒に纏わる事柄は、真偽の程は定かでないが、学校中にパニックを起こさせるには十分なものだった。事態を重く見た学校側はその筋に精通する者を呼び解決に当たらせたと云う。しかしながら返って来た報告にはこの様にあった。
「件の生徒に会って話をしました。結論から申し上げますと、解決には当事者の命を以って贖いとするより外ございません。生徒は嬉々として笑っておられました。口が利けないものでございますから、文字に依って表すより外ございませんけれども、“ゆるさない”、“たのしい”。私に承知出来たのは、その二言のみでございます。」
 半身に大火傷を負ったなりでその事件から手を引き、それきりになったと云う。……。
「え。続きは?」
「んー?」
 小山の方へ振り返ると、机に身体を預けてぐったりとしている。
「ウチも先輩から聞いたんよー。それで終わり」
「なんかすっきりしねえな」
「今平和って事は、いじめっ子皆殺しにしたんじゃない?」
「おっかねえな」
「そうだ」と云うなり、小山は席を立った。
「未だどっかに残ってるらしいよ」
「何が」
「そのお化けが書いた字。探して見ようよ」
 教室を出て、そこいらを見て廻っている。入学してからこの方、その様なものを見かけた事はなかったが、まさか自分がロッカーの裏まで覗くと考えてはいなかったから、そうした所に案外あるのかも知れないと思っている。見つけた所でどうすると云った事もないが、何しろ夏休みである。時間だけはある。

「覗いちゃ駄目よ」と云って、小山は女子トイレへ入って行った。私は男子トイレに入って隅々まで検めた。タイル貼りのトイレは涼しいが、長居するにはにおいが気にかかる。もう日が傾き出していた。紫色の影があちこちに蟠るのを見て、一体藤堂達は何をしているのだろうと思う。時刻を見る為に携帯を取り出し、画面を眺めた。LINEの欄に八十三と云う数字が表示されている。見ると花火と云う名のグループに八十三のメッセージが溜まっているらしい。マナーモードにしたつもりはなかったので、不思議に思いながら開いて見た。
“何号室?”
 佐久間の発したメッセージが最後に来ていた。何の事やら見当がつかなかったので、遡って見ると、
“小山がヤバい”
“事故ったらしい”
“今病院にいる”
 と云った内容で会話がされている。よく解らなかったから、
“どしたん”と入力し、トイレを出た。
「あったー?」
 小山は先に出ていたらしく、廊下の壁にもたれていた。
「どこにも」と応えて、
「そっちは?」
「ぜーんぜん。なーい」
 何が楽しいのか知らないが、小山は笑っている。
「ぼちぼち屋上行って見るか」
「うん」
 屋上へ出ると、ぼやけた風が総身を打った。お日様は既に山の向こうへ沈み、その残滓が空の端っこに滲むばかりだった。頭の上には星々が頼りない光を瞬かせている。校庭を見下ろすともう真黒になっており、それ程永い事学校にいた覚えはないけれども、夜に差し掛かっている事が解った。
「花火、何時からだっけ」
「八時だよー。もうちょい」
 手摺の所まで来て並んだ。遠くに河があるのが辛うじて見える。あの辺りから打ち上がる段取りだった。懐から頻りに携帯の鳴る音がする。
「結局、見つからなかったね。嘘だったのかな」
「もう全部消したんじゃねえの」
「また何か書いてくれたら良かったのにね」
「用事がねえんだから、書いたってしゃーねえだろ」
「えー。暇な時とか」
「小山じゃねえんだから」
「何よそれー」
 あんまり携帯がうるさいので、電源を落とす為に取り出した。
“何やってんだ早く来い”だの、“三好どこいるんだ”だのと云ったメッセージと、藤堂や杉山からの着信が表示されていた。
「良いの?」
「ん? ああ。良いよ。花火観ようぜ」
 隙間風の鳴る様な音が響くと、忽ち菊の大輪の如き光の束が現れ、ほどけて行った。続いて色々の金平糖を散らかした様な乱れ咲き、大降りの雨を思わせる火薬の音に先立ち、煙の細い筋が垂れるのを眩い明かりが照らした。
「たーまやー」と云った小山の大声も、花火の音に掻き消された。この度も見事な物だった。校舎の屋上から観る分にはまた格別で、学生の身分を有難く思う。小山と二人して眺めている。私にはそれで十分だった。状況を勘案して、小山がここにいると云う事は、恐らくこれが今生の別れとなるのだろうけれども、その様な素振りを見せない、小山はその様な女だった。昔から。
「だって」
 小山が云うので見ると、向こうもこちらを見ている。
「もー。泣かないでよ」
「うるせー」
「だって、みっちーと花火観たかったんだもん」
 入学したばかりの頃、初めて言葉を交わした事を思い出していた。人の事を指差して「ウミガメに似てるね」と云ったのを、私は今でも根に持っている。
「俺もだよ。馬鹿野郎」
 小山は嬉しそうに笑った。
「どっかにラブレター書いとくから、探してね」
「さっきの怪談みたいにか」
「うん」
「女子トイレには書くなよ。入れねえから」
「わかった」

 それから校舎のあちこちを見て廻るのが日課となった。卒業してからも一々ここまで来なければいけないのだろうかと云った事を考えるが、それはそれで仕様がないので良しとする。しかし“だいすき”だの“あいしてる”だのと云った照れくさい言葉の中に、時折“あつい”、“くるしい”と云ったものを見つける事があり、その度に件の生徒はどうしているのだろうかと、何とも云えない気持ちになって来る。(了)