病院

 一

 お昼頃に千里から電話があった。
「倒れて入院するんだって」と言うので、
「誰が」と訊いて見た所、
「ウチが」と応えた。
 昨晩の嵐が運んで来たらしい、すかすかの空気が私の汗を乾かす。急いだ所で仕様がないけれども、仕事を早くに切り上げたなりで、病院へ続く往来を歩いている。日暮れには未だ遠いが、空の青は深く、消え掛けたひこうき雲の薄い橙の筋が、遥か向こうへ落ちて行く最中に思われる。
 昔からこの辺りに暮らしている。外へ出た事もあったが、また戻って来た。右手に見える、軒を接する豆腐屋と魚屋の隙間が病院への近道だったが、もう体が大きくなってしまったので通る事は出来ない。大人しく正しい道順を辿るより外ない。
 蜘蛛の巣の様に巡る道と町の丁度真中に、私の物心付いた時分には既に建っていた様に思う。当時からどこに居ても古びた壁のひび割れを見る事が出来た。まるで病院を主にした様な町の作りだが、もしかすると本当にそうだったのかも知れない。見当も付かない程昔からあったものに町を付け足して行ったのではないか。病院の前に何が建っていたのかは知らないが。
 車の一台も通れない、門前の小さな森の小径を抜け、おそろしく大きな灰色の箱の中へ入って行った。受付を済ませて三階の病室へ行くと、窓際のベッドに寝かされていた。点滴を腕に刺し、ぼんやりとした様子で窓の外を眺めている。私は傍の丸椅子に腰掛け、
「で。どしたん」
「んー」と言ったが、相変わらず窓の外を眺めている。
「自分でもよく分かんないんだよね」
「みかんゼリーばっかり食ってるからだろ」
「そうなんかなー」
 平生のものと変わらない様子だったので、大した事はないのだろうと思う。私はいつもの通りに話し掛け、いつもの通りの返事を聞いた。
 やがて千里は「眠くなって来た」と言って、ゆっくりと目を擦った。
「どれくらい居るの」
「分かんない」
「まあ、明日も来るわ」
「んー」
 病室を出て、廊下の角を曲がった所で足許に何か触った。見ると黄色い鞠が落ちていた。子供でも居るのか知らと考えながら拾い上げた先に、車椅子が停まっている。乗る者はない。