山の人

 私自身、そこへ実際に赴いた訳ではないし、直接の関わりがある者は皆死んでしまったから、書き留めた口伝と残された文献を頼りに空想して見る事しか出来ない。
 場所は北国であるとだけ言って置こう。タリと呼ばれる山があり、そこへ続く道が、嘗てはあったのだけれども、今はもう廃道となっている。足許に気を付けながら行き、タリの深くへ入って行くと、何でもない所でいきなり道は途切れてしまう。しかしながら行く先は道のないなりに人の通れる塩梅になっているから、やはり足許に気を付けて進まれるが良い。
 やがて鬱蒼たる森に紛れて、茅葺きの屋根が見えて来る。ミナモと言う男が住んでおり、これは人を喰う。人を喰うと言ったのは些か語弊があるかも知れない。ミナモの家より少しばかり先に、やはり茅葺き屋根の家が建っており、そこに暮らすカシタと言う女より外のものは、何でも喰う。
 言う迄もなく彼らはいにしえに山人と呼ばれた人で、里にあった頃は互いに見ず知らずの他人であったと言う。どうした理由で山へ入ったのか、出逢いはどの様なものであったか、私は知らない。貧窮に関連があったと言う資料が残るのみである。
 ありふれた山人の例ではあるが、ここに彼らの特異な点を挙げて見ると、第一に状況から察するに夫婦であろうと思われるのだけれども、どうした訳か住居を異にしている。子供が居たのかは定かではない。第二に羆や経立に代表される、体格に於いて彼らを上回るけものすら相手にしていた形跡がある。通常山人には有り得ない事であるから、ここに特筆して置く。第三に、これまでに述べて来た事と重複するものではあるが、彼らの気性は極めて攻撃的であり、外国にも食人等の事例を見付ける事が出来るが、私の印象ではああした「味を占めた」故の「喰う為に殺す」、或いは「風土」故の「名誉乃至一族を守る為に殺す」と言った類のものではなく、「目に付いたものを」「殺す為に喰う」のが彼らである。
 にも関わらず、第四にその生活の文化的な様は思いの外であり、彼らの残した作品、作品としか言い様のない品々については、これも特筆しなければならないだろう。
 私の手許にあるのは、牛の頭蓋骨である。表面は滑らかに磨かれ、光沢を放っている。そしてその額には墨書きで、

 心地含諸種
 普雨悉皆萠
 頓悟花情已
 菩提果自成

 と記されている。
 これは風姿花伝にも引用された禅宗六祖、慧能大師の偈である。
 嘗てミナモ、カシタ両山人を神として崇めた人々が、麓の村々にはあまた存在した。彼らは春と秋の年二回山へ供物を捧げた。ある年の春先の事、着物の二組を奉じに上がった者が、山桜の下に昨年の供物であった牛の頭蓋骨を見出した。私は幾度もその家へ足を運び、縁のある者が絶えた事もあって、先日漸く譲り受ける事が出来た。
 戦いと芸術に彩られた彼らの生き様を、私は羨ましく思う。タリのあの遥か頂から、下界を見下ろす眼差しに思いを馳せる。山に生きる事とは、生を純化させる事に外ならない。彼らは殺し、詩を詠じ、殺し、山を感じ、殺し、風物に目を細め、殺し、季節を味わい、殺し、静寂を過ごした。私共と何が違うと言うのか。私は彼らを美しいと思う。彼らは私をどう思うのだろうか。同じ血の流れる者として、調査の完成した暁には、これを纏めて、どうしようか。本にして世間様に紹介して差し上げるのも良いだろう。それとも私だけが楽しみ、私だけのものとして冥途までやり過ごそうか。(了)