吹き溜まり

 人の住まない市営のアパートに入り、私は何をするともなく静かな明け暮れを繰り返していた。入った棟には私の外には誰も住んでいないらしく、入り口の郵便受けには総て目張りがしてあり、歯抜けになって見栄えが悪いから自分のものにも目張りをした。
 外の棟もその様な具合で、全部で六棟かの巨きな建物が西日を遮り黒々と翳っていたが、どれも一人か二人が暮らすばかりで、一つの棟に誰も入っていない所もあった。街の途中にいきなりあったが、その様な音が入って来る事もなかった。
 そうした団地の真中辺りに、隙間風の吹き溜まりがそのまま公園になった様な広場があり、お天気の良い日は雲梯の上に腰掛けて煙草を吹かしている。時折どこかの子どもが足元に纏わり付いて来るが、うるさくしないので放って置く事にしている。
 晩食を外で上がり、部屋の前まで帰って来た際に、隣の棟の方を眺めた。私の部屋が三番棟の四階だから、廊下から見えるのは二番棟だろうと思う。ベランダが並び、人の住んでいない所には仕切りも何もないので、外燈の塩梅によっては向こうの玄関までよく見える。向かい合う棟の高い所に居ると、真黒の地面がもっと深い底へ通じている様に思われた。
 向かいの棟に見える窓の一つが急に開き、私にそっくりな顔をした男が出て来た。男はこちらを向いて大きく手を振っている。気味の悪い程顔をふにゃふにゃにして笑っているが、声は聞こえない。あのような顔をして私は笑うのだろうかと思う。
 逃げ出すのも腹立たしいので、それから随分永い事じっと男を見ているが、向こうにも何か思う所があるらしく、一向引っ込む様子はない。その内にあっちへ行って話をしようかと言う気になり、私は男の居る棟へ向かった。行って居なければそれでも構わないが、帰って来た頃合いにまた出て来たら、今度は石でも投げてやろうと思う。
 二番棟の入り口に着くと、猫の一団がたむろしている。皆々声を発する事もなく静まっているが、どこかから射す明かりに浮かぶ耳や髭がひくひくと動くので、黙祷なりしているのか、或いは何かに聴き入っているのかも知れない。
 階段を上り、男の居た部屋に着いたので取っ手を回すと、鍵は掛かっていなかった。中に入ると、夜の闇が霧の様に立ち込めており、開け広げられた襖の向こうに手を振る影が見える。
 近づいて見たが、影は振り返るともなく、いつまでも手を振り続けている。背中の辺りに歯車の様なものが咬み合ってゆっくりと回っていた。そうするとこれはからくり人形か何かだろうと言う当ては付いたけれど、却って益々解らなくなった。
 人形を前から見ると、真白の顔をした道化のお面を被っている。これを遠くから見ると、私の笑い顔にそっくりだと言う事らしい。(了)