先立

 雨が上がってもずっと暗い。空を見ると高い所や低い所を黒い雲が非常に速く行ったり来たりしている。暗いけれどまだ夕方なので辺りの景色はよく見える。山や建物は水膨れのした様に重たく転がっている。
 私は電車を降りて死んだ友人の家へ向かって歩いている。彼の母親が言うには、友人から私への言伝があるそうだった。生前は気の置けない仲だったが、死んでから既に四年が経つ。今更何の言葉があるのかさっぱり見当が付かなかった。
 遠くに周りとの境目が分からない水溜まりが広がっている。それを見るともなしに歩いていると、先の辻から女が出て来た。こちらを少し見たきり、向こうを向いて私の前を歩き出した。
 それから女の背中を眺めながら歩いている。後を付けている様で気持ち良くはないが、行く方向が同じなのだから仕様がない。そうして突き当たりまで来ると、女は不意にこちらへ振り返り、
「どっち」
 吃驚して、どっちって何がと訊き返すけれど、女からの返事はなく、じっと私を見ている。友人の家まで行かせる訳には行かないから、
「そっちの好きな方で良いよ」
 女は右手に曲がった。友人の家の方だったが、この先分かれ道は幾らでもあるので、その内別の方へ行ってくれるだろうと高を括っていた。
 岐路に立つ度に「どっち」と訊かれるものだから、何の目的があるのだろうと考えている内に友人の家のある通りまで来た。しまったと思ったが、女は先立ってどんどん向こうへ遠ざかって行く。道の分かれ目に来るまでこちらへ振り返る事はないのだから、このまま放って置けば済む話だと思い直した。
 友人宅の前まで来たので、女の後ろ姿を見送り呼び鈴を鳴らすけれど、誰も出て来る気配がない。表札を見ると剥がされていた。郵便受けには目張りがしてある。おやと思いながら敷地に立ち入ると、雨戸が全て閉まっている。玄関前まで行くと、あちこちにペンキやスプレーで落書きがしてあった。
「どっち」と背後から声がしたので振り返ると、女が表からこちらを見ていた。
「どっちだと思う」と訊き返すと、女は目を伏せ、小さく首を左右に振った。(了)