停電

 そろそろだろうと思っていた所にやっぱり停電が来たので、部屋の隅に行って缶の物入れに手を突っ込み、蝋燭を取り出した。兄の机から手探りに燐寸を拾い、二三度擦って見ると小さな火が点いた。蝋燭に移された火は思ったよりも長く、先っぽが動く度に周りの闇は深まって行く。自分の鼻頭と火元の机が明かりに揺らされるのが見えるばかりだが、そうして私は昨日買って来た懐中電灯に電池を入れ、蝋燭の火を吹いて消した。消える間際にくびれ掛けた火の形が、真暗になった後の部屋にも残る様だった。
 家の外も大層暗く、電柱や店の軒先と言った平生明かりのある所を懐中電灯の光で照らして見ても、まるで勝手の違う様に思われる。いつ頃の事だったか、もう覚えてはいないけれども、私共の町には停電癖が付いたらしく、晩のこれぐらいの時刻になると明かりの一切が消え失せてしまう。皆初めの内こそ困惑したものの、こう言った事が続くに連れて段々と慣れてしまい、遅い時刻である事も相俟って今では殆ど気に掛ける者も居ない。
 手許から伸びる光の筋が、行く先の地面に白いまん丸を作っている。私はその後を付いて行く。そうやって町の中をうろうろしている。周りの気配が騒がしいのが気になるが、その方を照らして見るつもりにはならない。路地や溝、塀や壁に挟まれた往来、お屋敷の庭、車の中、その様なものの隙間と言った所には夜が満ちている。騒がしいのは暗いからだろうと思う。暗ければ見えない。見えなければ騒ぐ。墓場なり田んぼなり好きな所で騒ぐが良い。
 廃ビルの足許まで来ると、扉の破けて大口を開けている中から何事か囁き合う声がした。そうかそうか、ところで、それにしてもと言った具合いに、途切れる事はなかったが、お互いが意味の取り違えなぞお構いなしに言葉を出しているらしく、耳を澄まして見ても一向何の話をしているのか分からない。私は壁を伝ってビルの裏へ回り、外にくっ付いた階段を上った。錆のささくれ立った所が懐中電灯の光に浮かされる度、ぎざぎざの刺が生えている様に思われた。
 仕舞いまで上り切り、懐中電灯の光を消した。そうして屋上へ入るとそこいら中から微かに話し声がする。遠くに散らかった星が光るので、自分が今高い所に居るのが分かった。「おや」と言った先を見たが、真暗で何も見えない。「直ぐ連れて来るから」と、今度は耳の近くで聞いた。
 足の裏で地面を確かめながら隅の方へ歩いた。吹いて来る風の加減が甘く、縁まで来て蹲っているとはたきを掛けられている様な心地になった。恐らく私は今、廃ビルの屋上から町を見下ろしている。地続きに見える目の前の闇は底へ向かって落ちている筈だった。
「今晩は」と後ろから声がした。
「今晩は」
「今夜は見付かると良いですね」
「うん」
 それきり私共の会話は、丁度人の混雑した喫茶店や酒場で相席する様に、屋上に溜まる多くの気配の中に紛れた。振り向いた所で相手の顔は見えやしないから、来た頃のなりでじっとしているが、向こうもそれで構わないらしく、くつろいだ気配が伝わって来た。
「普段は何して遊んでるの?」と訊くと、
「え?」
 暫く黙っていたが、
「お昼間、ですか?」
「うん」
「そうですね。……。蝶々を、数えたり」
「蝶々?」
「ああ、何だか恥ずかしいです」と狼狽えた様子で言った。
「あの、……。二本木峠に、細長いお地蔵さんが居るんです。その周りに、遠くから渡って来た蝶々が集まって、あの、珍しいから」
「二本木峠って、結構入り込んだ所の?」
「そうです」
「今度行って見ようかな」
「熊が出ますよ。危ないですよ」
「熊は嫌だな」
「鹿も居るんですよ」
 取り留めのない、意味のない話が時間の流れるに任せて縺れるのはいつもの事で、私はそれを決して悪くは思わなかった。一時の気の慰みになればと感じているのは、向こうも同じだろう。お互いがお互いの為にやっている。これ以上に望む事なぞない。
「……。もうそろそろですね」
「うん」
「今日も見付かりませんでしたね」
「うん」
「私は、見付かって欲しくないです」
「どうして」
「ご免なさい。その、見付かったら、もうここに用事はないんでしょう」
「来て欲しかったら、来るよ」
「本当に?」
「うん」
 眼下に広がる町のあちこちに明かりが戻り出した。停電は終わったらしく、薄っすらとした寂しい光がここまで射して来る。もう屋上には何も居ない。急に営みが始まった夜の町を眺めながら、私は来た頃と変わらないなりのままで、兄が飛び降りた所に座っている。(了)